Youtube 「tatsuya kunitomo music」

プロフィール

小学校高学年で洋楽にはまり、エレキ・ギターを兄が買ったのを追いかけて中学校でエレキ・ベース、続けてドラム・セットを買った。
小学校時代に一緒に洋楽聞いていた同級生と転校生の二人に誘われる形でバンド結成。中学時代はビートルズのコピー、高校生になってからはクリーム、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープルのカバー、高校卒業間近はBlow by Blow~Wired期のジェフ・ベックのカバーを文化祭などで演奏していた。
高校卒業で5年間続いたバンドは解散。大学入学後、高校時代違うバンドでギター弾いていた男に誘われ、他大学のバンドで、リー・リトナー、クルセイダーズ、リターン・トゥ・フォーエヴァーなどを演奏したのが最期のバンド活動となった。


自分の興味がバンド活動より、映画制作にシフトしたため、音楽はただ聞く趣味となっていった。
さて、高校時代に一つ下の後輩に自分の好きな音楽を大量に聞かせたところ、彼は世界中で一番自分の音楽の趣味趣向が合う友達となった。
さて、自分と彼はバブル時代直前~バブル時代の東京で20代を過ごしていた。映画に向かっていた自分と裏腹に、彼は音楽にのめり込み20代後半にバンド活動を始めた。
バンド運営に失敗した彼は、打ち込みで音楽制作を継続していた。これに感化されて自分も機材を買って打ち込みを始めた。約10年間のブランクからの音楽制作だった。


二人とも福岡に戻り30代、40代と私と彼は仕事や子育ての合間に頻繁に飲み屋で音楽談義。
もう少しで50歳に差し掛かるかという時期に「VOCALOID2 初音ミク」が登場。刺激を受ける。
段々と二人で定年後にバンドをやろうということになり、その構想などで飲み会は盛り上がっていた。
しかし、突然私が謎の指の障害により、握力を失いベースを弾けなくなってしまった。
そんな私を有人は、打ち込みによる作曲を頑張れと励ましてくれた。
その頃の、バンド構想は女性キーボードを加えたトリオ編成で、友人は自分が歌う曲を作り、私が女性ボーカル曲を作る分担制で、音楽性は別として、私が好きなバンド「Lamp」みたいなトリオが狙いだった。
そんな中、友人が癌に侵されてしまい、壮絶な闘病生活の末、この世を去ってしまった。
彼は最期まで打ち込みによる音楽制作を行っていたのだが、残された私は虚脱感により、また音楽制作をストップする。
二人のバンド活動開始予定である2021年5月まで、あと10ヶ月だった。


2025年になり、ふとネットでAIボーカルの存在を知り、その自然な歌唱に、ボカロにハマらなかった自分も大いに興味が湧いた。
しかも、AIに詳細なスクリプトを渡せば、それに沿ってアレンジし演奏してくれることにも驚愕し、早速、簡単なメロディと歌詞とアレンジ・スクリプトをAIに与えたところ、予想以上の出来に心底驚かされた。
このときは歌詞まで考える余裕はなく、我が母校の校歌を勝手に使って、結局36曲も作曲。
良いリハビリになった。
次に、今までDTMで作ってきて眠っている曲をAIで復活させることにした。
4月に会社を辞めたのだが、有休消化なども有り3月から、再就職する10月まで7ヶ月間、1日15時間くらい没頭していた。そのくらい面白かった。
ストックしていた曲、「糸校校歌2025」からの転用、そして新曲も含めアルバム6枚、計71曲にまでなった。
これも、AIはトライ&エラーが簡単に短時間で出来るからであり、いい時代になったものだ。
最初は1枚1枚CD-Rに焼いて、知人に配布していたのだが、もっと簡単に、とYouTubeを開設し6枚のアルバムをUPした。
こうして65歳からのミュージック・クリエイトが幕を開けた。